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 無くして初めて気付くものがあるとしよう。しかしそれを理解したときには何もかもが全て、遅いのだ。

 私は死が理解できないと彼に漏らしたことがあった。

 其の時は、確かに、私には死というものが理解できなかった。

 『死』とはなにか?それは生き物に平等に、そして時に不平等に唐突も無く訪れるものであり、何人たりともそれからは逃れることはできないであろう。

 どんな人間であっても死は平等に訪れる。ただ、時期というものは実に不平等だが。

 

+++

 

「本当に…どこにいるんですかねぇ………」

 子供に約束した日から季節は廻り、残酷に、時は過ぎた。

 もうすぐ彼を喪ってから一年が経とうとしていた。いや、喪うという表現は正しくないだろう。彼は帰ってくると言ったのだから。

 あの日還ってきた『彼』は『彼』じゃなかった。私の待っていたのはあの朱毛の子供なのだから。

―『彼』が還ってきた。それは私にとっては死刑宣告にも近いものがあった。けれどもいまだ私は認めることが出来ない。何を?と聞かれても答えることが出来ない。

 答えては、いけない。

 

「約束を破る子には、お仕置きですからねぇ…」

 そう呟いてみても彼はいないのだから、答えてくれるはずが無い。

 彼が、ここにいればきゃんきゃん子犬がじゃれるように噛み付いてきただろう。当時の私はそれが楽しくて、わざと彼を弄ったものだ。

 それが懐かしくて、愛おしくて、思い出しただけで頬が緩む。

 それとともに辛い記憶も蘇るわけだが。

 

 本当に、失って初めて気付いたのだ。

 自分を構成していた『何か』の大半はあの朱毛の子供になっていたことに。彼がいることが当たり前になりかけていたことに。

 彼が、私を『人間』にしてくれた。

 それは互いが互いに、まるで傷の舐め合いのようなどうしようもなく救いがたい関係から始まったものだった。

 けれども、いつの間にか………ああ、しかしいまさらどうしようもない。

 今彼はここにいない。

 あのときの私は理解できず、何か、焦燥感めいたものがよぎるのを分かっていながら無視をして、彼を無慈悲に死地へと追いやった。

 それは決して間違った判断ではなかったはずだ。正しかった。それだけは断言できる。

 けれども、そう、あまりにも、私にとって大きい代償だ。

 理解したときには何もかも遅く、取りもどすこともできず、日々をただ淡々と生きる。

 それはとても虚しい行為。なぜ今自分がこうして呼吸をし、彼のいない世界で生きているのかわからない。

 まるで海の中を歩くように息苦しい毎日が続く。なのに私は生きている。息苦しい中でも脳は酸素を取り入れ、血液は常に循環し、生きている。

 目を閉じればいつでも鮮明に思い出せる彼の笑顔。まるで空のような子供だった。

 

「貴方は、いま何をしていますか」

 愛おしそうに空を眺め一人呟く。

「この空の続く場所にいますか」

 誰もが見惚れる様な笑顔を浮かべ、

「いつものように…笑顔でいてくれますか?」

 問いかける。

「いまはただ、それだけを………」

―それは嘘。

 彼に笑顔でいて欲しい。もう一度、彼に会いたい。

 ずっと一緒にいたかった。いまは、もう、遅すぎる願いだけれども。

 

 本当はもうわかっているのだ。でもそれを認めるわけにはいかなくて。

 彼が還ってくるのを信じて待っている。ただそれだけが今の自分の存在意義であり、生きる理由。

 認めてしまえばきっと、私は…―。

 

 静かに目を閉じる。

 それは黙祷にも似た行為。

 

 もしももう一度、奇跡という現実離れしたものが起こって、過去に、戻れたのなら。

 今度はきっと、間違えない。

 彼にあんな選択をさせ、一人で逝かせることだけはしない。

 今はあのときほど無力ではない。彼を生かす術だって無いわけじゃない。

 

 それでも、彼が消えてしまうというのなら。

 もう一度彼を見送るということだけはしない。

 其の時は私も共に彼といくだろう。

 一人ぼっちでいかせやしない。

 

 私にとっての死とは、己の生命活動の停止などというものではなく、彼の、存在の消失。

 

 

彼が私のたった一つの『生命線』。
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